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明後日、四代目がTVに……

新宿の実家にNHKの取材が入ったことは、ものすごく前に聞かされていたのですが、いよいよ放送日が近づいてまいりました。

↓コレです。
http://www4.nhk.or.jp/P4133/x/2016-09-19/21/18919/2357072/


NHK G PM14:00 ~15:00

六本木の森美術館で催されている展覧会の関連で、宇宙からやってきた鉄でできた刀、というつながりです。

録画予約、お忘れなく!

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第18回 咸臨丸フェスティバル  レポート その2

浦賀港東岸壁
12:47
浦賀港
5
ワンデーミュージアムに「咸臨丸乗組員の子孫と語らう場」があり、控室に荷物を置かせてもらえる。身軽になり、会場散策へ。
前の写真とは逆側。機関工場北側から浦賀港を望む。中央に移っている舟は、海上保安庁巡視船。申し込めば体験乗船できる。
あれ?申し込みの必要はあったんだっけ?中に入るだけなら、その場でOKなんじゃね?

咸臨丸・模型
13:06
咸臨丸・模型
6
機関工場東側の「浦賀ギャラリー」今までは外に展示されていた咸臨丸の模型は、今年は屋内にあった。
反対側に「幕末の英傑・中島三郎助」展があり、この後で再び訪れた際にA・KOSUGIさんと一緒に説明を聞いているうちに身バレして、「遊ぶ会」の会長さんと名刺交換することになったしまった。交換は別に問題ないですが、話について行けなくて冷や汗。


開城巡視艇
13:57
東岸壁
7
湾の反対側(東岸壁)まで歩く。手前が模擬店。ケバブ、焼きそば、串焼き、など。奥にはフリーマーケット。これも、例年通り。海上保安庁巡視船に、一回だけ乗船したのは、何年前だっけか?今年はスルーした。

「写真8」あぼ~ん
15:01
8
レンガドックの一番奥。中央に二重の白い枠がありますが、枠の中に一本ずつ線が入っておりまして、二本の線を中央に合せると方向が決まる。決まった先に船の切っ先を合せるように誘導すると、船がドックに対して真っ直ぐ着眼できるという仕掛け。

「写真9」あぼ~ん
15:02
9
顔本をご覧の方は、ご存知かしらん。この写真が今、わしのPCデスクトップ壁紙なのですよ。
ホントに気持ちのいい、5月晴れでしたのよ。(あ、4月30日でした)
あの、なんでブログに写真を乗せないのかって?
施設は工業遺産なので「ネット掲載ご遠慮ください」なのよ。そこまで律儀に守る必要ないじゃん、と思われるかもしれないけど、わしなりに敬意を払って、一般公開を避けた次第、です。
ちょっとやせ我慢しちゃったのよね。

子孫と語らう場
16:01
ミュージアムパーク推進センター内 咸臨丸乗組員の子孫と語らう場
10
ワンデーミュージアムの一角にある「 語らう場」
わしも14:00に会場入りしたんですが、そのときは席が一杯の上K・Kさんがお話ししておられたので「じゃましない方がいいな」と思い、その辺をウロウロしてやりすごしてたのね。あとになって席が空いたから行ったら「わしさんとだったらお話ししたいとおっしゃる方が大勢いただろうに」と言われた。
え~?
そ、そうなのか。

そっかー。話し上手のKさんにお任せしてしまったけど、確かにその後話の輪に加わったら、思いのほか話が弾んでいましたからね。四代目の講座を聴いたという人とか、農大の図書館で麦叢録の展示を見たという人とか、いらっしゃいました。
まあ、でも。
人様の前で少しは話ができるくらいに、もっと勉強しなくちゃね。

写真11
16:36
梅本店内。I・Sさん K・Kさん。あぼ~ん


帰路 浦賀駅
18:41浦賀駅
12
早目の夕げは、うなぎ「梅本」にて。
勝海舟が愛したお店で、ミシュランの星を取っている。

時間が早かったのでK・KさんとI・SさんM・Hさん。4人で貸し切り状態。ビールで乾杯。楽しさに時を忘れて、かなり長居してしまいました。
女将と「勝海舟フォーラム」での再会を約束して店を出ると、薄暮の中を駅まで歩き、駅に着いたのが午後7時前。


朝の出発前にちゃー君に乗っていこうか、ギリギリまで迷ったけれど、ビールも飲めたし鰻も食べれたし、明日も休みだし、大満足の一日でした。
帰宅後にシャワーを浴びたら、鼻の頭がヒリヒリする。日焼けしたんです。


というわけで、説明文にあるとおり、工場施設の写真掲載を控えただけなんですけど。

式典の時に初めて知ったんですが、この工場が会場として利用できるのは今年が最後。
来年からは別の場所で開かれるとのこと。
いままでご厚意でお貸し頂いていて、その上文句を言ったら罰が当たりそうだけど、え~、もっとやってよ~。
ホントに風情があっていい会場でした、……残念だなあ。


おしまい

第18回 咸臨丸フェスティバル  レポート その1

今までの書式とは若干違った書き方をしています。
個人情報、並びにweb上への掲載可能な写真を勘案した結果こんな風になりました。

写真の完全版を某データ保管サービスへアップしてあります。
閲覧をご所望の方は、わしが個人名でやっている顔本のメッセージ欄へその旨お知らせください。
認証キーを発行いたします。

なんか、この人めんどくさいことをはじめちゃったのね、とお思いでしょうが、わしもそう思います。
まあ、ちょっとした実験のつもりですが、何か。


16年4月30日
第18回 咸臨丸フェスティバル

横須賀市の告知ページ

ここはヨコスカ イベント案内



浦賀駅
10:22浦賀駅


小さなバイクに乗り慣れてしまうと自宅から電車で移動する機会が、本当に少なくなる。
横浜まで直行路線があるのが嬉しくて「乗り換えなくていいんだ」という意識が強すぎ、間違えて各駅停車のまましばらく過ごしてしまう。やがてあまりに進行が遅いことに気が付き、特別快速にのりかえたら、その後はとても順調だった。浦賀駅に着いたのが10:22。駅から会場まで歩くことを考慮しても、ちょうどいい時間に着くことができた。


会場入り口
10:32
住友重機械工業株式会社浦賀工場 会場入り口



駅の改札を出たところでM・HONDAさんとばったり出くわす。何という奇遇。(目的地と集合時間が同じなんだから当たり前か)女性と二人連れ。
だ、だ誰、どなたさんですか?
ご紹介いただくと、I・SASAKIさんは新たにメンバーに加わっていただいた歴女さんということだ。
暑くなりそうな予感をはらんで、抜けるような空の下を会場まで歩く。
入り口手前には、わたあめ、ポテトフライ、お好み焼き などの露店。いやがうえにもお祭り気分が盛り上がる。
三国国旗
11:40
式典会場内

3
今年は電車移動だったので、ジーパンにジャンパーといういでたちの理由がない。
だから一応、ネクタイを絞めて行った。スーツではなく、ジャケットだったけれどね。
ホントは式典会場にはちょっとお偉いさんも来ることだし、子孫の会としてはネクタイくらいは閉めて行かないとカッコつかないのは当然なんだけど、わしの一方的な都合で今までサボって来ていたんです。だって、スーツにネクタイで原チャリの上に4時間も5時間も乗ってられないでしょ。
っていうか、そもそも往復9時間の原チャリ移動自体が非常識なんだけどね。
アニメ「ばくおん!!」でも、
「バイクにはバカしか乗れない」という、これ以上正しい言葉が見つからないくらいの名言があるしね。
濱口 興右衛門のご子孫、K・KOBATASHIさんが建物の前で名札を配っていてすぐわかった。「子孫の会」を冠したこの名札は、いろいろな意味で「水戸ご老公の印籠」みたいな働きをすることになる。スタッフ皆さんがよくしてくださる、というよりかしずいてくれちゃうイメージ。「ええい、頭が高い。ひかえおろう」なんて、言ってないのにぃ~。
↑写真は「毎年同じ写真かよ」と思われそうな、三国国旗。


「写真4」あぼ~ん
12:39
レンガドックとクレーン

4
式典の式次第は毎年同じだから、簡単に書きます。
ご挨拶があって、国歌演奏があって、来賓のスピーチがあって、セレモニーが終わるとビールで乾杯、軽食をいただいて、全部含めて1時間ちょっとだから、終わってみれば、あっという間だ。唯一特記すべきは、今年から
オランダ大使代理としてヴァルクスさんがスピーチしていたこと
あとでちょっとお話ししましたよ。

その後、レンガドックの方へ歩いてみる。広場のステージではフラダンスやら、わたしと同世代の女性によるピンクレディーのダンスやら、がある。周辺には屋台の焼き鳥屋、焼きそば、お好み焼き屋。(フードフェスタ)実にいい天気だが、風が心地よく、思ったより暑くない。

続く……。

武蔵野大学生涯学習講座「榎本武揚と大鳥圭介」レポート その2

16:00再開

2001年に国立国会図書館の大鳥圭介文書の中から発見された日記。
五稜郭から千住までの経路をたどる。配布資料7・8

日記には、宿泊地や天候が記されている。
細川藩の警護により唐丸(とうまる)駕籠で護送されたが、宿ではそれなりの丁寧な扱いを受けていた様子。
ぶようさんが書いた家族への手紙には「心配いらない」と書かれたものが多いが、
大鳥圭介の書簡には、護送中の劣悪な状況も書かれていた。
旧幕臣の残党による奪還も懸念されたが、それもなく無事に(?)東京へ到着。
最初の宿泊地は青森・5月22日
最後は千住・6月29日

日記の書き下し文を、ほぼ全文朗読。

松岡相馬・田島圭蔵などが面会に来る。

十番目の宿泊地 渚 6月3日
近隣龍毛村ニ クソウズ
「クソウズの意味・解説」
「油 出ズ」(途中で油田を見る)

十六番目 金山 6月9日
「金山本陣ニて、香魚ヲ食ス」鮎の事らしい。


雨が降って道がぬかるむと、駕籠の担ぎ手を心配している。
二十二番目 関 6月16日
「此日大雨ニテ山路泥濘 行人難苦可想」

駕籠の中に1日入っているのも大変だけれど、担いでいる方はもっと大変だったのだろう、と。

二十五番目 二本松 6月18日
「去年を懐かしむ」旨、書かれている。(二本松少年隊)

うしろから

だいぶ時間がなくなってきました。


外債募集団に随行してアメリカ、イギリスに渡ったときのこと。
(この辺は駆け足で、知識不足のわしにはよく分からなかった。調べたら、こんなブログ記事を見つけた)

「ウエストコースト日日抄」
windowheadさま
「明治5年・6年大鳥圭介の英米産業視察日記」を読む

五代友厚。NHK朝の連ドラ。

山尾洋三。長州ファイブ。
歴史とは関係ない話だけど、ご子孫のJAL(ジャル) と jazz(ジャズ)に関する話。 


4:58
二枚の古写真
榎本武揚と大鳥圭介が同時に写っている写真。

二枚ともだいぶ後年になってからのものでした。
二人とも七十歳代の物、らしいです。
ツーショットではなく集合写真で、一緒に移っている人たちがまた、有名人なんですが……。

それが今、手元にないもので巧く説明できません。
画像もアップできません。


全体の感想。

プロジェクターの活用が大幅に改善された。
係員の女性が四代目の話の進行に合わせて、今現在、資料のどの部分が使われているのか、ポインターで指示し、スクリーンに映し出してくださっていた。
ありがとうございました(ホントは、わしの役目だったね)。


全部やったら、倍くらいの時間が必要だった。
別のシリーズに混入させても構わないので、続きプリーズ。

武蔵野大学生涯学習講座「榎本武揚と大鳥圭介」レポート その1

時間:2016年2月27日
会場 :千代田サテライト教室
階段教室

榎本武揚と大鳥圭介

配布資料1:レジュメ

1 生い立ち
2 閑谷学校~尾方両案塾
3 江川太郎左衛門塾
4 歩兵指図役~歩兵奉行
5 箱館戦争
6 アメリカ~イギリス
7 工部大学校長~学習院院長
8 清国特命全権公使
9 枢密顧問官
10 男爵授与

配布資料(同)2:榎本武揚 大鳥圭介 関係年表

同3:書籍より抜粋 圭介の談話
箱館戦争、降伏の経緯

同4 国会図書館 大鳥圭介文書内
国会図書館 大鳥圭介文書
1.流落日記(明治2(1869).5.18出五稜郭〜6.30の日記) 目次

同5 地図 東北地方を縦断する五稜郭→千住の経路を宿泊地にマークを入れて表示。

同6 日記の内容

同7 明治十九年四月十日の書簡 大鳥圭介 白金→梁川先生 築地壱丁目

同8 明治二十二年? 十月二十五日の書簡 大鳥圭介 上海→榎本武揚様 永田町


15:00 開講いつになく大人数の受講生の皆さまが集まった。

階段教室2

四代目から質門「今日初めてこの講座を受けられる方?」
半数弱の方が手を挙げる。
「では、自己紹介を……」
四代目のプロフィールが語られる。

スクリーンに家系図が映し出されている。
スクリーン
わしにはお馴染みの「佐藤藤佐」を頂点とした、多津さんの家系をたどるものだ。

戊辰戦争末期、箱館における榎本と黒田の関係。

榎本円兵衛(箱田良助)から榎本の生い立ち。学んだ学校など。
そこから年表へ。配布資料1・2

18歳 嘉永六年 ジョン万次郎に英語を学ぶ。
30歳 オランダにて国際法を学ぶ。オルトラン・著『海律全書』
33歳 五稜郭での戦い。
34歳 敗戦。唐丸(とうまる)駕籠で辰口牢獄まで護送

その後、明治新政府で大臣を歴任。

一方、大鳥圭介年表。ぶようさんより4歳年上。

14歳で閑谷学校に入学。ぶようさんが10歳で昌平黌に入学したのと同じ、弘化二年。
閑谷学校の説明。幕臣指定のみならず、庶民の子供も入れた。
西周。手塚太郎(手塚治虫の祖父)

21歳 尾方洪庵の適塾に入塾。
    尾方洪庵の次男の緒方惟準、オランダ留学。娘の嫁ぎ先。→家系図。
26歳 江川塾より教授に招聘される。門下生に大山巌、黒田清隆。
    伊東祐麿→榎本の墓石の文字
31歳 ジョン万次郎に英語を学ぶ。
35歳 フランスより軍事顧問団が来日し、新戦術を学ぶ。歩兵奉行(三千石)となる。
37歳 江戸脱走。先代で榎本艦隊と合流、蝦夷共和国の陸軍奉行。
38歳 敗戦。東京で入牢。

ここで、黒田から酒が送られて降伏勧告があったこと。大鳥・黒田の関係の説明。

配布資料5
抜粋なので省かれていましたが、本の中には
五月十五日「幡竜艦将であった松岡磐吉以下二百四十名が降伏」
五月十六日「千代ヶ岡陣屋が攻撃を受けた」中島三郎助が撤退を拒否する話。
などが書かれている。


五稜郭から40年後の明治41年9月5日の「東京日日新聞」記事から抜粋。
大鳥圭介が記者の取材に応えて語った談話。降伏の経緯。

「 我々の戦争は 仲間同士兄弟同士の喧嘩 畏れ多いが親たる陛下に 兄弟喧嘩をしまして相済みません 御詫びをするのぢゃから まア急ぐ事でもない今夜は酒でも飲もうと」
(中略多数・筆者)


という所で、あっという間に時間が半分に。
15:50トイレ・飲料休憩。

……続く。

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武揚の曾孫(四代目・
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そして時々、
個人的な趣味に脱線してしまう、
それがこの「わしブログ」です。
歴史音痴のはずなのに、なぜか
この様な役回りになってしまった
わしですが、何か?

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